11月末か12月に入ってからか、布団を先に送って私は炭鉱に向かった。
日曹赤井炭鉱は、平駅から磐越東線の一つ目、赤井駅を降りるとすぐ近くにあった。かなり高いぼた山(選炭した後の岩石など)がいくつかあり、ハーモニカ長屋といわれた木造平屋住宅が沢山並んでいた。私はその長屋にある飯場(はんば)の世話になり、翌日から後山として坑内労働に従事した。
1番方は早朝から昼頃まで、2番方は夜までの6時間労働の2交代制であったと思うがはっきり覚えていない。 坑内は、戦時中の乱堀のためひどく荒廃しており、小さな事故が多く発生していたようだった。採炭は大規模に採炭する払(はらい)採炭でなく、炭層に添って3〜4メートル四方の坑道を掘りながら採炭する(掘進採炭)であった。先山(さきやま)がまず、コンプレッサードリルを使ってダイナマイトを埋め込む穴をあけ、発破(はっぱ)をかけ(爆発させ)、さらに岩盤をくずしながら掘進する、2名の後山(あとやま)がスコップで石炭が混じった岩石を炭車(トロッコ)に積み込む、といった作業であった。狭い急斜面 での作業だったりすると、無理な姿勢になるのでかなりつらかった。坑道が一定の距離になると支柱夫が落石での事故を防ぐため、支柱を立て天井に分厚い板を載せる作業が続く。 ヘッドランプ付きのヘルメットをかぶり、坑口から人車(労働者が乗るトロッコ)で急斜面 を降りて切羽(きりは・坑内の現場)に行き、作業を始める。坑内の事務所には小鳥が飼われており、ガス爆発の予兆をいち早く知るためという。仕事を終え、鼻の穴の中まで炭塵で真っ黒になり、人車にのって上がり明るい坑口が見えたときの安堵感。陸(おか)に上がって銭湯のような大きな風呂(このときは女風呂の釜が壊れて使用不能ということで男女混浴)で炭塵を洗い落として飯場に帰る、といった毎日であった。
はじめは翌朝腰が立たず起きられないこともあったが、このきつい労働にもなれ、3ヶ月目には「見習い」後山の「見習い」がとれた。二百人ぐらいの労働者が働いていたようだったが、飯場には同室の陸軍少年船舶兵、隣室の自称陸軍中尉など軍隊帰りの若者が増えつつあった。自然に何人かが集まり雑談に興ずるようになった。その噂が炭鉱内に広がり、労働組合の幹部たちは、私たちを右翼軍人の集団と見て警戒していたらしい。
私は労働組合がどんな組織であるか、全然知らなかった。ある時、労働組合の幹部に呼ばれて組合事務所に行くと、四〜五人が私をとりまき、「何を話し合っているのか、何かたくらんでいるのではないか」と詰問してきた。炭鉱夫は気性が荒く、喧嘩が絶えない。反対派が「なぐり込み」をかけられたという話も伝わっていた。私は緊張したが、「こんな小さな炭鉱のことを考えているのではない。天下国家を論じているのだ。戦いに負けてアメリカに占領された日本がどうなるのか、日本人はどうしなければならないのか、を考えているのだ」「労働組合はなぜ赤旗を立てるのか、日の丸ではいけないのか」などと、こ生意気な(いま思えば)反論を試みた。これには幹部連中もいささかびっくりしたらしい。とりあえず、彼らに対抗する集団でないことが分かったらしく、道で会えばあいさつを交わすようになった。
GHQによる、共産党員など政治犯の釈放と治安維持法の廃止、農地改革の指令、労働組合法公布、翌年の元日には、天皇自らが神格化を否定した「人間宣言」が出され、新しい憲法草案が政府に渡されるなど、時代はすでに激しく、占領軍によって動かされていた。しかし、私はきつい労働に明け暮れ、このような政治の流れをほとんど見過ごしていた。ただ、平(現・いわき)市内に出かける休日の満員バスのなかで見た、つぎつぎ電柱に貼った「天皇制打倒!日本共産党」の張り紙だけは鮮明に覚えている。
翌年の春先だったか、ストライキが決行された。どんな要求でたたかわれたのか記憶にないが、組合が会社の倉庫をあけさせてウイスキーなどを放出させ、未成年の私もそれを呑んで酔っぱらったことは覚えている。その時、敗戦直後、ここで働いていた朝鮮人が集団で暴動を起こし、倉庫をやぶって衣服や食料を奪って祖国に向かった大騒動があった、という話を聞いた。(今では、この人々の多くは強制連行されて、ひどい待遇のもとで坑内労働の主力として働かされ、多くの犠牲者が出ていたことは明らかになっている。ある調査によると、赤井を含む常磐炭鉱地帯〜最大の炭鉱は「常磐炭鉱kk」〜では、四万人中半ばを朝鮮人労働者が占めていたという)
戦後初めてのメーデーは、赤井炭鉱の労働組合も赤井からデモを組んで平市の中央会場に合流した。しかし、私たち軍隊帰りの集団は、二〇人ぐらいで「日の丸」の旗を立て、組合のデモと離れて赤井川の土手道を軍歌を歌って行進した。だが、さすがに赤旗が林立する市内に入っては「日の丸」をしまわざるを得なかった。当時は占領軍の命令で「日の丸」の掲揚は禁止されていた。