論文「新ガイドライン路線」下の自衛隊(01/8/7)
松尾高志
(1)「新ガイドライン路線」
「新ガイドライン路線」を理解するにあたっては、私は、そのス タートにあたるこのところの約10年ほどの時間をさかのぼって、 そこから現在を照射することが有効かと考えております。
おさらいの意味を含めまして、時間を戻してお話したいと思います。
1990年代初頭の当時のアメリカのブッシュ大統領の政権下 (現在のブッシュ大統領の父親の時代ですが)では、「ベース・フ ォース」(基礎戦力)という概念を導入して、兵力の削減を含む戦
略の再構築の作業を開始いたしました。 それは具体的には、ヨーロッパ正面では、ソ連とワルシャワ条約 機構の解体を踏まえまして、NATO(北大西洋条約機構)の再定
義が行なわれました。それは、ひとつにはNATOの東方への拡大 と、もうひとつにはNATOの「領域外」への関与の開始でありま した。
1991年の「戦略概念」(「ローマ宣言」)がそれでありまし た。これがボスニア・ヘルツェゴビナへの派兵を経て、1999年、 ポーランド、チェコ、ハンガリーのNATO加盟実現、旧ユーゴへ
の空爆、「新戦略概念」の採用(「非五条・危機対応活動= non-Article 5 crisis response operation」)として結実したわ
けであります。
アジア正面では、この動きは遅れて1994年から95年にかけ て姿をあらわしました。
その背景の一つは、ブッシュ政権からクリントン政権にかわって、 本格的な世界軍事戦略の再編成が行なわれたことであります。19 93年9月に、当時のアスピン国防長官の下で「ボトム・アップ・
レビュー」が公表されました。これが国際戦略環境の変化後の今日 に至るまでのアメリカの世界軍事戦略の基本であります。ソ連との 全面戦争シナリオに替わって、二つの大規模地域紛争にほぼ同時に
対処しうる戦力構造を保持するというのがそのベースであります。
具体的には湾岸戦争規模の地域紛争が二つ、中東と朝鮮半島が想 定されていると伝えられています。中東においては米中央軍( Central
Command)の立案する「作戦計画1002」、極東においては米太 平洋軍(Pacific Command)の立案する「作戦計画5027」がそ
れであります。
アジア正面では、アメリカの戦略の再編成がどのように行なわれ たのか、ふりかえって見てみたいと思います。
いうまでもなく、アメリカはアジア・太平洋地域の安全保障戦略 の要を日米同盟においております。
ヨーロッパ正面でのNATOの再定義とリンクした、アジア正面 における、この日米同盟の再定義がヨーロッパよりは遅れて行なわ れはしましたが、結実したのがやはり1999年のことでありまし
た。いわゆる「新ガイドライン三法」(「周辺事態法」、自衛隊法 改正、ACSA改正)の制定であります。(なお、このときの積み 残しの「船舶検査法」も2000年に制定されました。)
この日米安保体制の再定義が行なわれるに至った「引き金」のひ とつは1993年から94年にかけての「朝鮮核危機」であり、も うひとつが1994年に提出された首相の諮問機関「防衛問題懇談
会」の報告書(樋口レポート)でありました。
「朝鮮核危機」につきましては、当時、政権の中枢にいた人々し か知らなかったことが、その後、徐々に、明らかになってきていま す。
アメリカは一方では朝鮮民主主義人民共和国との対話のチャンネ ルを保持しながら、他方では、軍事力行使を背景とした経済制裁を 政策のオプションのひとつとして実施しようとしました。この時、
日本の政権は、自民党の一党支配が終わり、細川、羽田、村山政権 と短期に連立政権がくるくるとめまぐるしく変化していました。政 治家レベルでの対応はともかくとして、その下での事務レベルでは、
アメリカの意向を受けて、どのように「危機」に対処すべきかが密 室で検討されていました。
この時の事務方の責任者は石原官房副長官でありまして、政権が 変わっても、一貫して政策実務を担当したのでありました。
この時、最もきついケースでは「時限立法」で対処するとのオプ ションも検討されたと報道されています。
西元徹也元統合幕僚会議議長は最近、当時のことをふりかえって、 次のように述べています
――「1993〜94年にかけての第一次 朝鮮半島の核危機に際しては、我が国の統合幕僚会議事務局等と在 日米軍・太平洋軍等を中心とした万一の場合に備えた幕僚研究の形
で情報交換、警戒監視・情報収集態勢の強化、捜索救難、機雷掃海、 損傷した艦艇の曳航、航空管制支援・空域使用統制、基地をはじめ とする重要施設の警備などにおける日米間の協力のあり方あるいは
米軍に対する後方支援のあり方などについて真剣で具体的・実質的 な検討が頻繁に行われた」と。
しかし、結果的にはカーター元大統領と故・金日成主席との会談 で、その後の「枠組み合意」となる合意が成立して、ことなきをえ たことはみなさん、ご承知のとおりであります。
この時、日本の政府、日本の国家システムが「朝鮮半島危機」に 対応することができないものであったことがはっきりしたことが日 米安保の再定義を開始する「引き金」のひとつとなったのです。
もうひとつの「引き金」は先にも述べましたように「樋口レポー ト」です。これは細川内閣のもとで、「冷戦後の日本の安全保障政 策をどうするか」について首相が設置した諮問機関が、村山内閣の
ときに提出した報告書でした。この中で、報告書は日米安保の堅持 の前に、多角的安保を打ち出したのでした。政策の順序は(1)多 角的安保協力の促進、(2)日米安保の機能充実、(3)防衛力の
強化でした。
アメリカはこれを「日米安保のゆらぎ」と受け止めたのです。
こうして、1994年の秋から、ジョセフ・ナイ米国防次官補を 中心とした「ナイ・イニシアティブ」と称せられる日米安保の再定 義の作業が開始されたのでした。この協議には日本側は外務省、防
衛庁、そして制服組も参加しました。米側は国務省、国防総省の事 務レベルで実施されました。
そして、95年2月に「ナイ・レポート」といわれる国防総省の 「東アジア戦略報告」が出され、アジアからの米軍の段階的削減は キャンセルされ、ヨーロッパ10万、アジア10万人の前方展開兵
力の維持が打ち出されたのです。ここで「新ガイドライン」に至る レールが引かれたのでした。
では、日米安保体制の再定義というものが、どのような内容のも のなのかを、ここであらためて検討してみたいと思います。
アメリカのアジア・太平洋戦略の要である日米安保体制はこれま では、日本の基地をアメリカ軍が自由に使用するということに加え て、自衛隊の役割はあくまでも「日本防衛」という枠組みの中にあ
りました。古いガイドライン時代の対ソ連との戦争計画(オペレー ション・プラン)でもその名目でのみ自衛隊は戦闘に参加するもの とされていました。1980年代に登場した「シーレーン防衛」の
任務も東京からグァムまで、大阪からバシー海峡までの1000海 里を防衛分担とはしていましたが、それは対ソ連戦の一環としての ものでした。
日米安保再定義はこの自衛隊の任務と役割(rolls and missions) を大きく変更するものとなりました。
これまでの「日本防衛」の役割を越えて、「周辺地域」における 事態であっても、つまり、「日本有事」ではない事態においても、 自衛隊は武力行使をしない範囲で、アメリカ軍が行う戦闘行動に対
して、兵站戦、情報戦を中心に軍事行動を実施することになったの です。
これは日米共同作戦行動の拡大です。これからは、アジア・太平 洋地域におけるアメリカの戦争に対して、日本政府はアメリカ軍に 基地を提供するだけではなく、自衛隊のアメリカ軍への協力作戦を
実施することになったのです。これは日本の軍事分担の大きな拡大 です。
この日米安保の再定義で打ち出された新しい日米安保体制につい て、わたしは「新ガイドライン路線」と名付けています。
この路線は先に述べた「ナイ・レポート」に加えて次の三つの文 書で構成されていると理解しています。
第一は、1995年11月の防衛計画の新しい大綱(正式名称は 「平成八年度以降に係る防衛計画の大綱について」)。
第二は、1996年4月の日米安保共同宣言(正式名称は「日米 安全保障宣言――二一世紀に向けての同盟」)。 第三は、1997年9月の日米新ガイドライン(正式名称は「日
米防衛協力のための指針」)です。
これらの三文書を論理整合的に読むことによって、「新ガイドラ イン路線」を把握するということです。これらは「ナイ・イニシャ ティブ」のもとでの日米安保再定義の日米事務レベル協議から出て
きたワン・セットの文書だからなのです。
これによって、日米安保は、あらたに「周辺事態安保」(地域安 保)、「グローバル安保」がつけくわえられました。
「周辺事態安保」については、先にも述べましたが、さらに補足 しておくことが必要です。
それは日本政府が「周辺事態」という言葉について、「地理的な 概念ではない」と主張していることにかかわってのことです。どこ までが「周辺地域」であるか。それは、政治的表現をすれば、「ア
ジア・太平洋地域」を意味します。というのは、先の三つの文書に はみな「周辺地域」という言葉が使用されています。この三つの文 書における「周辺地域」の概念は同一です。国会で防衛庁長官はこ
れを認めています。この言葉を別の言葉 で言い換えているのが「日米安保共同宣言」です。ここでの「周辺 地域」という言葉は明らかに「アジア・太平洋地域」と同義である
と考えます。
では、軍事的にはどの範囲を意味しているのか?
わたしはこれをハワイに司令部を置く米太平洋軍の責任範囲(A OR=Area of Responsibility)であると考えています。ですから
米太平洋軍のオペレーション・プランにあるものが、「周辺事態」 のシナリオであると思います。このことのヒントは日米安保体制を 運用する軍事中枢である日米の軍事協議機関の構成メンバーにある
と思います。古いガイドラインの下では、日米軍事協議機関のメン バーは日本側は統合幕僚会議の代表、アメリカ軍側は在日米軍司令 部の代表でした。これが新しいガイドラインの下での協議機関では
日本側は同じですが、米側は新たに太平洋軍司令部の代表が加わる ことになったのです。この機関は98年1月に日米両政府間で合意 された「包括的なメカニズムの構成」における「共同計画検討委員
会」(BPC=Bilateral Planning Committee)です。ですから、 米太平洋軍の責任範囲が「周辺地域」の軍事的な範囲だと考えます。
従って、現在のところは、インド洋、中東での事態は、それは新ガ イドラインのメカニズムではなく、別の枠組みで日本政府はアメリ カに協力することになると考えます。
あと二つ、付け加えておきます。ひとつは、新ガイドライン路線 は、「事」が起こったら発動されるのではなく、平素からファンク ションしているということです。これは新しいガイドラインの特徴
です。「平素からの協力」が規定されているのです。
もうひとつは、アメリカ軍に協力するのは自衛隊だけではなく、 日本の国家機構全体(周辺事態法八条)、そして、地方公共団体、 民間が協力するシステムとなっているということです(周辺事態法
九条)。これも新しいガイドラインの特徴です。
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