ビッグレスキュ−東京2000 (00/9/5)

 例年9月1日=「防災の日」に実施されている「防災訓練」とは 別に、今年は9月3日に自衛隊・東京都・政府の3者が初めて連動して、異例の「防災訓練」が実施される。

 自衛隊ではこれを「平成12年度自衛隊統合防災演習(実動演習) 」と名づけ、都では「平成12年度東京都総合防災訓練[ビッグレ スキュー東京2000年〜首都を救え〜]」とネーミングしている。 政府は特に名前はつけていないようだが、森首相以下の閣僚が市ケ谷の新防衛庁庁舎地下の中央指揮所で関係閣僚会議を開催する。

 では、その構造はどういうことになっているのだろうか?

 「シナリオ」が一つであることは確実である。自衛隊、東京都、 政府が「連携」していることもまた事実である。

 筆者の仮説はこうである――自衛隊という名の軍部の作成したオペレーション・プランに基づく「実動演習」に、戦後初めて、東京都という自治体と政府が「協力」するということ、これが今回の事態の構造である。

 このことは石原慎太郎という特異な政治家の東京都知事としての登場と中曽根元首相という特異な政治家の存在が、志方俊之という自衛隊元将官の介在・媒介をとうして、自衛隊=軍部のヘゲモニーのもとに「首都」=「国家機能」の「危機管理」を大々的にデモン ストレーションすることを現出させるに至ったということである。

 自衛隊の演習はみな「業務計画」に基づいて実施される。昨年(99年)秋の自衛隊統合防災指揮所演習は一昨年(98年)に作成された「業務計画」にもとづくものであった。そして、それは98年に行われた防衛二法の改正(統合幕僚会議議長の権限強化)に 起因するものであった。

 昨年(99年)夏の小淵・中曽根・石原3者会談が、今回の東京都の自衛隊演習への「協力」の出発点であったことは本欄で指摘してきたとおりである。この時期、すでに「業務計画」では、99年秋に指揮所演習を、2000年度に実動演習を実施することは防衛庁・自衛隊の既定方針であった。

 中曽根元首相は、さかのぼれば、1971年当時、防衛庁長官であった。その時、初めて自衛隊は「地震災害派遣計画」を立案・策定し、中曽根氏は東京都で演習をすることを意図していた。だが、70年代初頭の「革新自治体ベルト」の存在がそれを未然に阻止した。この時の「怨念」が、おおきな「時代」の変化と石原慎太郎氏の東京都知事当選で「噴出」したのである。この特異な政治家二人と自衛隊をつないだのが、志方俊之陸上自衛隊元北部方面 総監(陸将)であり、彼は昨年、石原氏によって東京都の参事に任命されていたのである。このことも本欄で指摘してきたとおりである。彼は、 雑誌「正論」(00年2月号)で今回の演習の狙いについて、こう述べていた――「この作戦は東京都という一自治体の救援活動ではない。『国家機能の危機』を救援することでもある」。  「国家主義」が今回の事態のキイ・ワードであると思う。そして、 それは新ガイドライン路線に基づく「戦争遂行可能な国家」構築への道程でもある。これが筆者の仮説である。

 

松尾 高志
2000.8.28記

 

 

この記事は平和委員会が発行する平和新聞(月3回発行)に掲載されています。
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